2020.11.09
ニューノーマル時代に学ぶべきCI・戦略経営デザインの本質全3回特別集中講座オンライン(ウェビナー)のお知らせ
2018.01.10
《STRAMD》2018年度第9期生募集記念 公開シンポジウム(無料)のご案内
2017.01.16
《STRAMD》2017年度第8期生募集記念 公開シンポジウム(無料)のご案内
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そのままでいると、気がゆるんでしまうものだ。 ストラムドも半年がすぎ、自分のなかに「慣れ」が出てきていた。 そんな私は、今回の中西先生の講義でピリッと気持ちがひきしまった。 そもそも私がストラムドを受講しようと決めたのは、 学び直しをしよう、そのために時間とお金を投資しようと思ったからだ。 ただ単に講義を聞いて、気持ちよくなっているだけではいけない…。 襟元をただして講義を聴いた。 私がいちばん目立つようにノートにメモしたのは、 「欲識」という中西先生オリジナルの言葉だ。 これをもっているかどうかで、 その人の発想力や直観力は大きく変わってくる。 また、中西先生は「町は商人の教師」だとも話された。 「欲識」がある人になるのは、一朝一夕にはいかないだろうと感じた。 ふだんからやっていないと、なかなかそういう意識ではいれないように思う。 でもそれならば、自分を仕向けてトレーニングすれば、「欲識」を身につけられるのではないだろうか。 ある著名なコピーライターが言っていた。うろ覚えだが、こういうことだったと思う。 「町を歩いていて、しょっちゅう、 何で自分はこう思ったのか、 そして自分だったらどうするかを考えている。 それをぼくはずっと続けている。」 「欲識」のある人になるためには、 どんなに話を聴こうが、どんなに本を読もうが、結局は、 自分自身がするか・しないかだ。 実際にはしていなかった自分に反省しつつ、 明日はいつもとちがう気持ちで町を歩こうと思う。 ------- ところで先日、東京国立博物館へ運慶展を観に行った。 運慶がつくった躍動感あふれる仏像の数々は、まるでほんとうに血が流れているようだった。 とくに、四天王立像の隆々とした肉体や、身体のひねりに目をうばわれた。 その写実的な作品は、仏師としての技術や表現力はさることながら、 人体への深く鋭い観察の賜物ではないかと感じた。 そして、自身がイメージするものに対して、自問自答をくりかえし、 つくり続けていたのではないか。 そんなことを感じさせた。 中西先生の言う「欲識」の先にある「超識」と「胆識」は、 こういう域にあるもののこと…? ゆっくりと考えてみたい。
そのままでいると、気がゆるんでしまうものだ。
ストラムドも半年がすぎ、自分のなかに「慣れ」が出てきていた。
そんな私は、今回の中西先生の講義でピリッと気持ちがひきしまった。
そもそも私がストラムドを受講しようと決めたのは、
学び直しをしよう、そのために時間とお金を投資しようと思ったからだ。
ただ単に講義を聞いて、気持ちよくなっているだけではいけない…。
襟元をただして講義を聴いた。
私がいちばん目立つようにノートにメモしたのは、
「欲識」という中西先生オリジナルの言葉だ。
これをもっているかどうかで、
その人の発想力や直観力は大きく変わってくる。
また、中西先生は「町は商人の教師」だとも話された。
「欲識」がある人になるのは、一朝一夕にはいかないだろうと感じた。
ふだんからやっていないと、なかなかそういう意識ではいれないように思う。
でもそれならば、自分を仕向けてトレーニングすれば、「欲識」を身につけられるのではないだろうか。
ある著名なコピーライターが言っていた。うろ覚えだが、こういうことだったと思う。
「町を歩いていて、しょっちゅう、
何で自分はこう思ったのか、
そして自分だったらどうするかを考えている。
それをぼくはずっと続けている。」
「欲識」のある人になるためには、
どんなに話を聴こうが、どんなに本を読もうが、結局は、
自分自身がするか・しないかだ。
実際にはしていなかった自分に反省しつつ、
明日はいつもとちがう気持ちで町を歩こうと思う。
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ところで先日、東京国立博物館へ運慶展を観に行った。
運慶がつくった躍動感あふれる仏像の数々は、まるでほんとうに血が流れているようだった。
とくに、四天王立像の隆々とした肉体や、身体のひねりに目をうばわれた。
その写実的な作品は、仏師としての技術や表現力はさることながら、
人体への深く鋭い観察の賜物ではないかと感じた。
そして、自身がイメージするものに対して、自問自答をくりかえし、
つくり続けていたのではないか。
そんなことを感じさせた。
中西先生の言う「欲識」の先にある「超識」と「胆識」は、
こういう域にあるもののこと…?
ゆっくりと考えてみたい。