2016年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院 2016年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院

日本文化とデザイン1

日付
2016年07月27日 19:00~
場所
デジタルハリウッド大学院大学
受講生の感想

記:西川 理菜

この日は、内田デザイン副所長の長谷部先生の授業。
STRAMD受講前からずっと楽しみにしていた授業だ。
なぜなら、内田先生の普通のデザインを拝読してから、日本デザインにいかに「和の心」が取り入れられているか。
そうした「わびさび」や「無常感」といったものが、日本デザインに根付いているかを知る中で、こんな見方があったのか、
と非常に新鮮な感覚を得たからである。

この日は、2回構成の先生の授業の初回。
デザインとは何か?という大上段の問いかけに対して先生は「古きを今に再生し、道を形で示す仕事」であると仰った。
これはつまり、未来にのこるものこそ意味がある、ということであり、つまりは人間と社会、そして自然を結びつける活動全般を
デザインである、ということである。
この感覚は非常にeye openingかつ自分にとってしっくりくるものであり、今の自分の仕事、そしてミッションはここに思っているので、
なんだかそれがぴったりはまった感覚に包まれた。

授業の中では、日本の文化は「時間をデザイン」してきたという。
例えば、「食事」という活動一つとっても、朝夕食べる”場所”が一緒であったとしても、
誰と食べるか、何を食べるか、そしてその都度の光の違いなど含めてデザインできるものだというのである。

古来より、日本人にとって「時間」とはなんだったのか。
それは<日常 ケ>と<非日常 ハレ>に分けられ<日常>とは放っておくと溜まっていくものであり、
そうした日常から離れ精神快復が必要な時、人は遊びや癒しを通じて”脱日常”を試みるという。
一方で<非日常>とはハレのことであり、宗教的、儀礼的、変移的な精神世界のものであるという。

また、竜安寺にあるつくばい「吾唯足知」を例に、”足る”とは何か、物質的に足るなのかそれとも精神的に足るなのか、
を問う中で現代の過剰社会において必要な考え方である考え方を説いてくださいました。

全体を通じて、現代の大量生産大量消費に警鐘を鳴らし、モノやサービスを作り出すデザイナーたるもの、
人間、社会、そして自然の3者にとって有益なものを生み出す責任を脈々と流れる時代をひも解く中で感じられる、
そんな授業をしていただきました。

《STRAMD》

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