2020.11.09
ニューノーマル時代に学ぶべきCI・戦略経営デザインの本質全3回特別集中講座オンライン(ウェビナー)のお知らせ
2018.01.10
《STRAMD》2018年度第9期生募集記念 公開シンポジウム(無料)のご案内
2017.01.16
《STRAMD》2017年度第8期生募集記念 公開シンポジウム(無料)のご案内
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第20回 記:森田志乃 サステイナブルとは、自分たちが自然と共生をしながら豊かに暮らせれば良いというものではなく、 世界70億人の暮らしが成立する方途とその時自分の立脚点をどこに置くかを考える必要があるものであると定義した上で、その方法論について前回の講義では述べられた。 今回は、アジアのサステイナブルデザインをテーマに、具体的にプロダクトを紹介していただき、 益田先生の取り組まれた「エコイノベーションを実現するサステイナブルなライススタイル」という目標とするライルスタイルを定義したもの、またDESISという社会変革とサステイナビリティのためのデザインを行うネットワークのお話をしていただいた。 知らず知らずの内に自分の見える範囲の枠組みの中で考えてしまっている。 サステイナブルデザインは、その枠を越えて、ライフスタイルや社会全体を捉え直す1つの視点であると思う。 STRAMDの講義は、単純に新しいアプローチの提案ではなく、短絡的な部分最適しか図られない現状を 長期的でより広い視点で見たときに考えられる形に捉え直すものであることが多い。 囚われている枠組みを外して、広く捉えることを可能にする方法論だと言って良いのかも知れない。 さて、本講義を聞いて、どうしても自らの仕事や生活に対して疑問が生じた。 現在、消費を善として、経済発展を目指すような社会の中で、私たちは仕事や生活ををしている。 サステイナブルデザインは、そのような現在の価値観に立脚していないため、現在の生活を否定することになってしまう。 例えば、私はWebの制作会社で働いているが、サステイナブルデザインの考え方に基づけば、本当に無意味な仕事である。電気エネルギーを大量に使っているし、生きていくことを主眼に置けば付加価値的なものに過ぎず、なくてもよいものになるからである。 生活に対しても同じで、エネルギー効率の悪いシャワーは十分に浴びたいし、遠くから運ばれてきた美味しいものを食べたい。都心の便利な場所に住みたい。贅沢したい。 だが、もしこう言われたらどうだろう。「1年後に10億人しか生きれなくなります、あなたやあなたの家族、友人も含めて生き残れるのは1/7の確率です。全員が生き残るためには、サステイナブルな社会を築かなければいけません。」 実感が伴えば、考えは変わって必死になって取り組むのだろう。 パラダイムシフトは、一定数の人々と課題を共有し、理解、共感を得て、初めて広がりをみせ、さらに多くの人々へ影響を与えることで、社会変革となりえるほどの転換が生まれるのかもしれない。 今回の講義で紹介されたアジアのサステイナブルデザインも、 やはりそうした実感が伴った上で生まれたモノのように見受けられた。
第20回 記:森田志乃
サステイナブルとは、自分たちが自然と共生をしながら豊かに暮らせれば良いというものではなく、
世界70億人の暮らしが成立する方途とその時自分の立脚点をどこに置くかを考える必要があるものであると定義した上で、その方法論について前回の講義では述べられた。
今回は、アジアのサステイナブルデザインをテーマに、具体的にプロダクトを紹介していただき、
益田先生の取り組まれた「エコイノベーションを実現するサステイナブルなライススタイル」という目標とするライルスタイルを定義したもの、またDESISという社会変革とサステイナビリティのためのデザインを行うネットワークのお話をしていただいた。
知らず知らずの内に自分の見える範囲の枠組みの中で考えてしまっている。
サステイナブルデザインは、その枠を越えて、ライフスタイルや社会全体を捉え直す1つの視点であると思う。
STRAMDの講義は、単純に新しいアプローチの提案ではなく、短絡的な部分最適しか図られない現状を
長期的でより広い視点で見たときに考えられる形に捉え直すものであることが多い。
囚われている枠組みを外して、広く捉えることを可能にする方法論だと言って良いのかも知れない。
さて、本講義を聞いて、どうしても自らの仕事や生活に対して疑問が生じた。
現在、消費を善として、経済発展を目指すような社会の中で、私たちは仕事や生活ををしている。
サステイナブルデザインは、そのような現在の価値観に立脚していないため、現在の生活を否定することになってしまう。
例えば、私はWebの制作会社で働いているが、サステイナブルデザインの考え方に基づけば、本当に無意味な仕事である。電気エネルギーを大量に使っているし、生きていくことを主眼に置けば付加価値的なものに過ぎず、なくてもよいものになるからである。
生活に対しても同じで、エネルギー効率の悪いシャワーは十分に浴びたいし、遠くから運ばれてきた美味しいものを食べたい。都心の便利な場所に住みたい。贅沢したい。
だが、もしこう言われたらどうだろう。「1年後に10億人しか生きれなくなります、あなたやあなたの家族、友人も含めて生き残れるのは1/7の確率です。全員が生き残るためには、サステイナブルな社会を築かなければいけません。」
実感が伴えば、考えは変わって必死になって取り組むのだろう。
パラダイムシフトは、一定数の人々と課題を共有し、理解、共感を得て、初めて広がりをみせ、さらに多くの人々へ影響を与えることで、社会変革となりえるほどの転換が生まれるのかもしれない。
今回の講義で紹介されたアジアのサステイナブルデザインも、
やはりそうした実感が伴った上で生まれたモノのように見受けられた。