2020.11.09
ニューノーマル時代に学ぶべきCI・戦略経営デザインの本質全3回特別集中講座オンライン(ウェビナー)のお知らせ
2018.01.10
《STRAMD》2018年度第9期生募集記念 公開シンポジウム(無料)のご案内
2017.01.16
《STRAMD》2017年度第8期生募集記念 公開シンポジウム(無料)のご案内
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第12回 記:可兒佐和子 STRAMDに来て約2カ月、授業の終わりにはまず「未知の視座にふれたことへの高揚感」があり、そして、少し心が落ち着いたところで「さて、自分はどうするか」という問いの続きが始まるのが、普通のことになりつつある。 今回の授業は、《STRAMD Prospectus10》の続き。前回までのおさらいと「3. 答えを覚えるのではなく、良い質問と答えの出し方を導く」についてのお話でした。 “How toよりもWhy to” 問題の根源はどこか。そもそもどうなりたいのか。なぜそれを「良い」「美しい」などと思ったのか。Whyから始まる思考を続けてこそ、めざすべき指針(ディレクション)が見えてくる。 指針に辿りつくためには頭をやわらかくすることも大切。無意識から意識に切り替わる汽水域[浅葉先生の師匠が仰ったところのdaydreamだろうか。]で魅力的なアイデアがひらめくことも多い。[…まるでデザインの感判知性に連動しているかのようだ。] 論理を超えた世界からアイデアが訪れたら、次はそれを人に伝えるためのレトリックを考えなければならない。 そして結果を導き出す方法自体にもクリエイティビティが必要。[28年前の映像から、これがPAOS設立当初より実践されていることとわかり衝撃。] 更には「困ったときの既成概念破壊法」までお教え頂き、なんとも実践的な授業でありました。 4月にこのProspectus10を見たときは、一体ここは何の学校なんだろうと思ったものです。受講前の私にとってSTRAMDの目指すところは自分に関係のあることなのか判断しきれず、ただ、そのまま通り過ぎることはできないパワーだけを強く感じていました。 昨年は基礎造形専攻に通い、「コンセプト」云々以前に、人間の根源的・身体的感覚としてのデザインの存在を肌で知る機会を得ました。まだぐるぐるとした頭の中で、「STRAMDは、デザインが言語的理解を越えた価値を体現するものであることを前提としつつ、その価値を”DesignThinking”に落とし込み、論理と非論理を行き来する人間生活の中でこれをどう活用できるかを探求・実践する場ではないか」と感じています。 今この段階で、自分の生き方にデザインをどう結び付けられるか、手法はともあれそのこと自体を当然と受け入れられている状況に、心地よい驚きを覚えます。
第12回 記:可兒佐和子
STRAMDに来て約2カ月、授業の終わりにはまず「未知の視座にふれたことへの高揚感」があり、そして、少し心が落ち着いたところで「さて、自分はどうするか」という問いの続きが始まるのが、普通のことになりつつある。
今回の授業は、《STRAMD Prospectus10》の続き。前回までのおさらいと「3. 答えを覚えるのではなく、良い質問と答えの出し方を導く」についてのお話でした。
“How toよりもWhy to”
問題の根源はどこか。そもそもどうなりたいのか。なぜそれを「良い」「美しい」などと思ったのか。Whyから始まる思考を続けてこそ、めざすべき指針(ディレクション)が見えてくる。
指針に辿りつくためには頭をやわらかくすることも大切。無意識から意識に切り替わる汽水域[浅葉先生の師匠が仰ったところのdaydreamだろうか。]で魅力的なアイデアがひらめくことも多い。[…まるでデザインの感判知性に連動しているかのようだ。]
論理を超えた世界からアイデアが訪れたら、次はそれを人に伝えるためのレトリックを考えなければならない。
そして結果を導き出す方法自体にもクリエイティビティが必要。[28年前の映像から、これがPAOS設立当初より実践されていることとわかり衝撃。]
更には「困ったときの既成概念破壊法」までお教え頂き、なんとも実践的な授業でありました。
4月にこのProspectus10を見たときは、一体ここは何の学校なんだろうと思ったものです。受講前の私にとってSTRAMDの目指すところは自分に関係のあることなのか判断しきれず、ただ、そのまま通り過ぎることはできないパワーだけを強く感じていました。
昨年は基礎造形専攻に通い、「コンセプト」云々以前に、人間の根源的・身体的感覚としてのデザインの存在を肌で知る機会を得ました。まだぐるぐるとした頭の中で、「STRAMDは、デザインが言語的理解を越えた価値を体現するものであることを前提としつつ、その価値を”DesignThinking”に落とし込み、論理と非論理を行き来する人間生活の中でこれをどう活用できるかを探求・実践する場ではないか」と感じています。
今この段階で、自分の生き方にデザインをどう結び付けられるか、手法はともあれそのこと自体を当然と受け入れられている状況に、心地よい驚きを覚えます。