2012年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院 2012年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院

日本文化とデザイン論1

日付
2012年05月31日 19:00~
場所
桑沢デザイン研究所
概要
デザインとは何か:近代デザインへの反省
受講生の感想

記:吉田 恒

第11回 記:吉田恒

「デザインとは何か」
「デザインは何のためにあるのか」
この問いから講義はスタートした。とても深い命題である。

・1968年問題が社会に与えたインパクトと、これをトリガーとしたパラダイムの大転換

「デザインとは何のためにあるのか」
この広義解は「人間の幸福のため」であり、
「人間の幸福は何か」の解の導出が冒頭の「デザインとは何か」の解と同義である。
果たしてデザインは「人間の幸福のため」にあったのか、この問い直しの契機となったのが1968年問題であった。

これを聴いた途端、自身が考えるべき事柄や視野が広がり、これだけで自らの観察力が高まった気もした。この、「why」や「what」を追求していく思考は、私自身にとって、「デザイン」に限らず、非常に重要な視座であるにもかかわらず、積極的に解を導く努力を怠ってきた視座でもある。

・デザインと時間・空間の不可分性
日本人は自然への観察から「弱さ」や「空」の感性を持ち得た、世界でも稀な民族である。

「日本人は自らの家屋の広い客間で結婚式や葬式が行えることを自慢するが、
欧米の家屋では、同じ客間で結婚式と葬式を行う発想がない。」

この例示も非常に分かり易かった。欧米のように相応の装飾を施してしまえば、同じ部屋で真逆の儀式を執り行うことは不可能である。日本人が同じ客間で真逆の儀式が行えるのは、日本人が「空」という空間をデザインしており、「空」という感性が備わっているからであるからこそと気付かされる。


・デザインのローカリティーと近代デザインの無国籍性

「屋根を外す行為 = 無国籍性を作る行為」

建築物は屋根さえ見ればどこの国の建築物かがわかるという例示である。屋根はその地域の風土や気候なども踏まえデザインされ、ローカライズされている。しかし、工業化社会の到来において、四角い画一的な建築物が増えてしまった。ただ工業化社会から一層の技術発展を経て情報化社会へと移行すると、みな、画一的デザインへの疑問を持つようになる。

実際に、私の地元の役場の建物が最近、木造建築に建て直された。官公庁舎で木造建築は唯一であるという。これはローカリティーを踏まえたデザインの挑戦の貴重な一歩かもしれない。

《STRAMD》

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