2020.11.09
ニューノーマル時代に学ぶべきCI・戦略経営デザインの本質全3回特別集中講座オンライン(ウェビナー)のお知らせ
2018.01.10
《STRAMD》2018年度第9期生募集記念 公開シンポジウム(無料)のご案内
2017.01.16
《STRAMD》2017年度第8期生募集記念 公開シンポジウム(無料)のご案内
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第50回:~ CIのケーススタディ NTT(日本電信電話株式会社/旧・電電公社)~1 記:田辺千晶 STRAMD後期も中盤に差し掛かり、講義内容は実践に役立つビジネスのリアリティが一層高まってきた。グループ課題の提案に向けて各自検討を開始したところでもあり、少しでも課題であるWANOVATIONへのヒントを見出そうと真剣な面持ちの皆を前に、中西先生のお話にも熱が入る。 今回は、受講生のリクエスト第1位だったというNTTのCIプロジェクトのケーススタディである。私もリクエストをした1人だが、その理由は、まさにこのプロジェクトが社名やロゴのデザインのみの表層上の変革ではなく、巨大企業が官から民へ変わるという歴史的な変革の一端を担った本格的なCIの典型だと思われたからだ。 膨大なドキュメントや記録映像の中から抜粋した、本邦初公開のものも多いという貴重な資料を見せていただきながら、講義が進められた。 * ** ●官営業から民営業に変わる以上にサービス業へ 1984年、バブル経済が加速度を増すなか、115年続いた日本の電気通信事業を官営からわが国最大の民営業へ再生させる、そのCIプロジェクトを進めていく中で、中西氏率いるPAOSが最も重要だと考えたのは、「官営業から民営業に変わるという以上にサービス業へ」という会社をあげての意識改革だったという。 「片足田んぼ」という言葉に表される、兼業が珍しくない地場密着体質や、電話料金の「徴収」、電話局のお客様ロビーを「公衆溜まり」と呼ぶような、上から下へのお役所発想に貫かれていた職員の意識を、顧客の視点に立って、サービスを提供する意識へと変えなければ、民営化などあり得なかった。 ●外部の力を応用して内部を変える ここで取った手法は、「外部からの目を変え、内部の意識を変える」インダイレクト・コミュニケーションという方法である。外から見えるものを変え、「何故変わったのか?」と外部から問われたときには、変わった理由を説明しなければならない。説明をして相手に伝えているつもりが、同時に自分に擦り込むこととなる。外部の力を応用して内部を変えていくことが、職員の意識を変える一番の近道だと考えたのだ。 現状の経営環境の実態調査を踏まえて立てたCI戦略仮説の基本目標は、「経営風土の変革」と「電電人気質の変革」。そのための基本方針は、会社を象徴する「記号」は全く変える、各種の戦略を「構造的」に組み立て「長期的」に展開することであった。 ●新しい「記号」NTT を呼称に 仮説をもとに、会社の新しい呼称が検討された。候補案の中で職員に最も支持が高かったのは「新電電」だったというが、当時のトップの真藤恒氏の鶴の一声で、最終的には日本電信電話株式会社の英文表記Nippon Telegraph & Telephone の頭文字をとったNTTに決定する。「記号」は変えねば変革の意味がないのだ。 呼称が決まり、ブランドロゴのデザインへと進んでいく。デザインは、当時「デザイン界の天皇」と呼ばれた亀倉雄策氏に依頼。「先端技術」「生活文化」「親しみ」をキーワードに、PAOSと共に検討を進め、シンボルマークとロゴのデザインが決まっていく。 これらのCI計画は、途中まで外部にオープンにできない状況の中で進められたが、1984年11月にようやく国会で正式に民営化決定。デザイン展開にはギリギリのタイミングだったが、1985年4月1日、晴れて新生NTTの誕生となる。 (その後のサービス業化などの動きは次回の講義で。 to be continued…) * ** 今回のお話で特に印象深かったのは、膨大な数の職員の意識を外側に見えるものを変えることで内側をも変えていくという「インダイレクト・コミュニケーション」の手法を用いた戦略である。NTTのCIが25年を経て今なお色褪せないのは、膨大な実態調査に裏付けられたこれらの入念な戦略の立案と基本理念の構築により導き出されたものだからだということを痛感した。 当時の日本の通信事業の技術水準などのお話も興味深かった。世界で最も先を行っていた日本の次世代通信INS構想はアメリカの圧力に抑えられて実現できなかった。このころ日本は先が見えずに、もの凄く大きなチャンスを逃してしまったことが、今の日本を招いているのだ、という中西先生の言葉が耳に痛い。 どこでどう道を誤ったのか、それは何故なのか、これから我々はどうすべきなのか、そんなことを考えさせられる種が詰まった講義でもあった。
第50回:~ CIのケーススタディ NTT(日本電信電話株式会社/旧・電電公社)~1
記:田辺千晶
STRAMD後期も中盤に差し掛かり、講義内容は実践に役立つビジネスのリアリティが一層高まってきた。グループ課題の提案に向けて各自検討を開始したところでもあり、少しでも課題であるWANOVATIONへのヒントを見出そうと真剣な面持ちの皆を前に、中西先生のお話にも熱が入る。
今回は、受講生のリクエスト第1位だったというNTTのCIプロジェクトのケーススタディである。私もリクエストをした1人だが、その理由は、まさにこのプロジェクトが社名やロゴのデザインのみの表層上の変革ではなく、巨大企業が官から民へ変わるという歴史的な変革の一端を担った本格的なCIの典型だと思われたからだ。
膨大なドキュメントや記録映像の中から抜粋した、本邦初公開のものも多いという貴重な資料を見せていただきながら、講義が進められた。
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●官営業から民営業に変わる以上にサービス業へ
1984年、バブル経済が加速度を増すなか、115年続いた日本の電気通信事業を官営からわが国最大の民営業へ再生させる、そのCIプロジェクトを進めていく中で、中西氏率いるPAOSが最も重要だと考えたのは、「官営業から民営業に変わるという以上にサービス業へ」という会社をあげての意識改革だったという。
「片足田んぼ」という言葉に表される、兼業が珍しくない地場密着体質や、電話料金の「徴収」、電話局のお客様ロビーを「公衆溜まり」と呼ぶような、上から下へのお役所発想に貫かれていた職員の意識を、顧客の視点に立って、サービスを提供する意識へと変えなければ、民営化などあり得なかった。
●外部の力を応用して内部を変える
ここで取った手法は、「外部からの目を変え、内部の意識を変える」インダイレクト・コミュニケーションという方法である。外から見えるものを変え、「何故変わったのか?」と外部から問われたときには、変わった理由を説明しなければならない。説明をして相手に伝えているつもりが、同時に自分に擦り込むこととなる。外部の力を応用して内部を変えていくことが、職員の意識を変える一番の近道だと考えたのだ。
現状の経営環境の実態調査を踏まえて立てたCI戦略仮説の基本目標は、「経営風土の変革」と「電電人気質の変革」。そのための基本方針は、会社を象徴する「記号」は全く変える、各種の戦略を「構造的」に組み立て「長期的」に展開することであった。
●新しい「記号」NTT を呼称に
仮説をもとに、会社の新しい呼称が検討された。候補案の中で職員に最も支持が高かったのは「新電電」だったというが、当時のトップの真藤恒氏の鶴の一声で、最終的には日本電信電話株式会社の英文表記Nippon Telegraph & Telephone の頭文字をとったNTTに決定する。「記号」は変えねば変革の意味がないのだ。
呼称が決まり、ブランドロゴのデザインへと進んでいく。デザインは、当時「デザイン界の天皇」と呼ばれた亀倉雄策氏に依頼。「先端技術」「生活文化」「親しみ」をキーワードに、PAOSと共に検討を進め、シンボルマークとロゴのデザインが決まっていく。
これらのCI計画は、途中まで外部にオープンにできない状況の中で進められたが、1984年11月にようやく国会で正式に民営化決定。デザイン展開にはギリギリのタイミングだったが、1985年4月1日、晴れて新生NTTの誕生となる。
(その後のサービス業化などの動きは次回の講義で。 to be continued…)
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今回のお話で特に印象深かったのは、膨大な数の職員の意識を外側に見えるものを変えることで内側をも変えていくという「インダイレクト・コミュニケーション」の手法を用いた戦略である。NTTのCIが25年を経て今なお色褪せないのは、膨大な実態調査に裏付けられたこれらの入念な戦略の立案と基本理念の構築により導き出されたものだからだということを痛感した。
当時の日本の通信事業の技術水準などのお話も興味深かった。世界で最も先を行っていた日本の次世代通信INS構想はアメリカの圧力に抑えられて実現できなかった。このころ日本は先が見えずに、もの凄く大きなチャンスを逃してしまったことが、今の日本を招いているのだ、という中西先生の言葉が耳に痛い。
どこでどう道を誤ったのか、それは何故なのか、これから我々はどうすべきなのか、そんなことを考えさせられる種が詰まった講義でもあった。