2010年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院 2010年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院

日本文化論1

日付
2010年09月16日 18:30~
場所
桑沢デザイン研究所
概要
日本のデザイン:森林に覆われた風土の思考
受講生の感想

記:桑原 朋子

第38回 記:桑原朋子

うっかりログインのIDとPWを忘れてしまい、アップが遅くなりました。ごめんなさい。16日の講義は、楽しみにしていた内田先生の「日本文化論」でした。

何となく日本は元気がない。中国や韓国に比べて、デザイン教育が遅れている。先日、先輩が台湾へ出張へ行った時に、最近の建築や水回りも合わせて見学をしてきて、ひと言「日本より全然いいよ」。海外のカタログやデザイン系の雑誌を見ていても、日本のものより断然かっこいい。

「なんか、日本ってだめだよね」」「日本が一番だ、なんて思っているのは、日本人だけだよね」と話をしてしまうような毎日です。こないだの国連の菅首相の演説も、空席だらけでしたね。そんな、ちょっと荒んだ気分になってしまう中で、内田先生の講義は、日本人であることの自信と希望が持てそうな、光を感じる内容でした。

「日本のデザイン~森林に覆われた風土の思考~」がテーマで、たくさんの美しい写真とともに日本独自の感覚についてお話がありました。その中でも、私が日本人の感覚って豊かだなぁと思ったのは「仕切り」と「仮設空間」です。

■「仕切り」というのは文字通り境界を分けることですが、日本の仕切りは海外の城壁のようにガッチリと組まれたものではなく、生け垣があったり、竹で組まれたものであったりと、とてもあいまいなものです。それで良いというのは、物理的に侵入を防ぐのではなく、目に見えない恐ろしい何かを排除する為のものだそうです。また、日本によく見られる縁側などの内にも外にも属さない「空白の領域」も、私たちにとても自然で、当たり前に感じるのもなのですが、日本独自の感覚であることに驚きます。

この「曖昧な何か」や「空白」は、ともすれば全てにおいて答えを出さなければならない時代のなかで、「何か」のままでいい、「空白」に意味を持たせ、その答えを追求しないところがとても豊かな感覚だと思います。

■「仮設空間」は、そこに一枚の敷布ができるだけで、竹を4本と注連縄があるだけで、違う認識の空間が生まれ、そこは神の宿る場所になります。最近は、秋祭りの季節でいろんなところに、仮設の建物がつくられては、祭りが終わり、あっという間になくなってしまうと、もう秋なんだなぁと感じています。一本の縄を超えるだけで、ひとつの石を置くだけで、結界が生まれ、その手前と奥では、人の気持ちや認識まで変えてしまう想像力の豊かさは、本当にすばらしいし、それを普通に感じ取っている日本人の感覚は改めて考えるとかなりレベルが高いのだと思います。

日本で生まれて、育って、「仕切り」や「仮設」の感覚を普通のものだとおもって生活していたのですが、どうやらそれは世界から見たらそうではないらしい、ということにあらためて気づきました。毎日の生活を、少しだけ感覚を研ぎすませて暮らしていくと、いろんな発見があり、それがデザインにつながっていくのかなとぼんやり考えているところです。

次回は、茶の湯・琳派・浮世絵・焼き物の中から、なにをお話いただけるのか楽しみです。

《STRAMD》

ローディング中