2010年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院 2010年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院

デザイン概論3

日付
2010年06月17日 18:30~
場所
桑沢デザイン研究所
概要
弱さのデザイン:日本文化の可能性
受講生の感想

記:青山 正伸

第19回 記:青山正伸

内田先生の講義は3回目。過去2回の「デザインとは何か?デザインの広義性狭義性?」に引き続く内容。今回、「日本文化に可能性はあるのか・・・」という副題がついていたが、もちろん言わんとする結論としては「ある!」である。

特に、個人的に刺さったのは『弱さ』という日本の美学について。実は、講義の最後の方で駆け足で述べられただけなのだが、それまでの歴史背景の講義を受けてのまとめとしてのキーワードだと思われ、この可能性については、他の多くの人にも刺さったであったろうと思う。

例えば、「ぼやけたもの」「かすんだもの」「透けたもの」「揺らいだもの」など、現代デザインに生きる日本の重要な概念である。「たそがれ:Twilight」という昼でも夜でもない中間の時間帯の曖昧さの美意識と言えばわかりやすいだろうか。これは、決して消極的であったり否定的なものではないし、現代に生まれたものでもない。

茶の湯に始まり、陶磁器に顕著に見受けられる「わび」という美意識が、過去中国の文化の模倣から始まり、やがてパラダイムの変換を経て日本独自の美意識として醸成するに到った歴史も興味深い。講義では「わび」と「弱さ」は並列で話されたが、共に美意識の根底にある「無常美観(はかなさ、さびしさ、わびしさ、心細さを感じられる心こそ、美しいと考える思想)」でくくられる。

現代に照らしても、これらの「弱さ」は、確かに現代日本のデザインによく見られる特徴だろう。諸外国のデザインに見つけられることはなくはないが希である。日本人には多かれ少なかれ根底に存在していると感じる。もちろん世界中にこれらの美意識を理解するファンが存在するし、日本の専売特許というわけではないだろうが、日本の強い特長のひとつとは言えるはず。なにしろ、20世紀は「強さ」「曖昧さの排除」「合理性」で突き進んできた世紀である。それが限界を迎え、次の思考の可能性として「デザインシンキング」が脚光を浴びているのと重なるが、「日本の弱さの美学、弱さの文化」は、共に可能性を強く感じる。

西欧から学び模倣し尽くして次に模倣する目標を失った現代日本が、いよいよパラダイム変換をしなければならない局面に、おさえておくべきキーワードであることは間違いないと思う。

最後に中西先生の補足説明があったが、内田先生の講義は後半2回分増やし、さらにこのキーワードについて理解・議論を深めていくとのことで、私的には大歓迎である。

余談だが、ちょうどFIFAワールドカップの真っ盛りで、参加国ごとに個性があって面白い。そのプレースタイルは、他国と違っていて魅力的で美しくあれば尊敬されるし、ころころ変えずに受け継がれているほど魅力的に感じる。必ずしも強いだけでは評価されていない。サッカーでも日本スタイルの構築はこれからだが、今まさに、日本ブランドでも、デフォルトを構築する時代だと思う今日である。

以上です。

《STRAMD》

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