2010.08.20 STRAMD前期終了にあたり思う NEWS 「数の人・理の人・目の人・愛の人」の時代に活躍できる人材育成を目指して 第34回 記:中西元男 STRAMD前期講義の目指すところであった「基礎教育や理論」を中心とする課程を終えた。今後は次第に実務に近い内容に入っていくことになる。 これまで私が続けてきたデザインコンサルタント活動とは、表現デザインに限るものではなく、企業経営の中枢テーマにデザイン思考を取り入れて、好経営環境を創出しようとの、いわゆる「知的美的経営」を目標とするところではあったが、約40年の自らの実務経験を振り返ってみると、経営者や企業が目標とするべきところも大いに変わってきたというか、内容的には次第に広がりを見せてきている。 21世紀に入った頃からそれを称して、私はこれからの企業(もしくは経営者)とは、「数の人」「理の人」「目の人」「愛の人」であるべきと言い続けてきた。 ここでいう「数の人」とは、売上・利益といった数字的成果が確実につくれる経営者であり、「理の人」とはその業界の理論を構築し牽引していける人、つまりこれまでの私がお付き合いした経営者でいうと「我が安売り哲学」を著したスーパー(チェーンストア)ビジネスのリーダー中内功氏であり、いまだにミスター百貨店といわれ一時代のデパート業界のメソッド「山中ノート」を残した山中かん氏である。いずれも自らのビジネスについて産業的視座からロジカルシンキングの出来る方であった。 時代が物質的に豊かさをまし、社会が工業化時代から情報化時代に進捗して行くに従って、情報価値や美意識を経営に採り入れる必要が生じ、また、その結果が成果を上げ始める。ここで必要とされ始めたのが「目の人」である。まさにデザインやデザインシンキングを経営レベルで採り入れ、感動価値が経営を左右する時代が到来したのだともいえる。イメージ・マーケティングや日本型CIと呼ばれる成功事例はその典型例と呼べよう。 そして今、時代は確実に市場原理のみで動く時代から変換し、企業も、社会的な価値や責任、コーポレートシチズンシップを無視しては存立価値を認められ難くなりつつある。その典型例が「人間愛」や「地求愛」に代表される「愛の人」としての企業責任の遂行である。 これら「数の人・理の人・目の人・愛の人」をガバナンスしていける企業経営こそ現代の先端経営と呼べよう。 これらの中で、日本企業に最も払底しているのは「目の人」、つまり右脳型で企業存立や経営方針を中・長期戦略として考えられる人材である。 他の三軸は数字や理論で把握可能な分野ゆえ、実行できるか否かは別にして、解り易いし、同様の理由で政治家も経済や経営の専門家やジャーナリズムもそれなりに述べ立てる。だが「目の人」に関しては誰もが避けて通ろうとする。デザイン誌ですらここまでは立ち入ろうとはしない。 21世紀はアジアの時代といわれ、事実それが現実化を見せつつある昨今だが、こうした発想でわが国は、私の知る限り、確実に韓国・台湾・中国等に遅れを取り始めている。 「ニュービジネススクール」を謳ってスタートきったSTRAMD、当初は一体どういう先行きが待っているか一抹の不安を持ってのスタートであったが、前期30回の講義を終えてみて、「目論見はかなり成功」と言って間違いなさそうだ。 最初は30人の受講生それぞれの属性のあまりの拡がり、つまり、年齢は20~60才代まで、職業も確かにデザインを専門とする人たちはいるが全体の1/3、専門資格を持っている人たちもMBA・一級建築士・管理栄養士・学芸員等々とさまざまで、果たしてこれで一つのクラスとして成り立つだろうかと危惧の念を持って臨んだが、これは杞憂であったと言えそうである。 人は目指すところを共にすると、かなりのコンセンサス集団になれるものだ、との実感も感じ始めている。 考えてみればごく当然のことだが、美しい事物、快適な環境、安全性や倫理性、そして個性的な存在であること等に異論を差し挟む人などいないわけだし、デザインのミッションとはまさにこれらの具現化にあるわけだから、分かってみれば、それぞれの専門分野においてこうした発想を採り入れ、ソフト・ハード両面から価値創造に関わっていく歓びの思いが緒に就き始めた、というのが、個人差はあろうがSTRAMD受講生達の現在の心境ではなかろうか。 大学では、あるいは専門化分化した教育機関では、成し得ない学びの環境づくりがSTRAMDにおいて可能、との芽が見え始めたと認識している。
「数の人・理の人・目の人・愛の人」の時代に活躍できる人材育成を目指して
第34回 記:中西元男
STRAMD前期講義の目指すところであった「基礎教育や理論」を中心とする課程を終えた。今後は次第に実務に近い内容に入っていくことになる。
これまで私が続けてきたデザインコンサルタント活動とは、表現デザインに限るものではなく、企業経営の中枢テーマにデザイン思考を取り入れて、好経営環境を創出しようとの、いわゆる「知的美的経営」を目標とするところではあったが、約40年の自らの実務経験を振り返ってみると、経営者や企業が目標とするべきところも大いに変わってきたというか、内容的には次第に広がりを見せてきている。
21世紀に入った頃からそれを称して、私はこれからの企業(もしくは経営者)とは、「数の人」「理の人」「目の人」「愛の人」であるべきと言い続けてきた。
ここでいう「数の人」とは、売上・利益といった数字的成果が確実につくれる経営者であり、「理の人」とはその業界の理論を構築し牽引していける人、つまりこれまでの私がお付き合いした経営者でいうと「我が安売り哲学」を著したスーパー(チェーンストア)ビジネスのリーダー中内功氏であり、いまだにミスター百貨店といわれ一時代のデパート業界のメソッド「山中ノート」を残した山中かん氏である。いずれも自らのビジネスについて産業的視座からロジカルシンキングの出来る方であった。
時代が物質的に豊かさをまし、社会が工業化時代から情報化時代に進捗して行くに従って、情報価値や美意識を経営に採り入れる必要が生じ、また、その結果が成果を上げ始める。ここで必要とされ始めたのが「目の人」である。まさにデザインやデザインシンキングを経営レベルで採り入れ、感動価値が経営を左右する時代が到来したのだともいえる。イメージ・マーケティングや日本型CIと呼ばれる成功事例はその典型例と呼べよう。
そして今、時代は確実に市場原理のみで動く時代から変換し、企業も、社会的な価値や責任、コーポレートシチズンシップを無視しては存立価値を認められ難くなりつつある。その典型例が「人間愛」や「地求愛」に代表される「愛の人」としての企業責任の遂行である。
これら「数の人・理の人・目の人・愛の人」をガバナンスしていける企業経営こそ現代の先端経営と呼べよう。
これらの中で、日本企業に最も払底しているのは「目の人」、つまり右脳型で企業存立や経営方針を中・長期戦略として考えられる人材である。
他の三軸は数字や理論で把握可能な分野ゆえ、実行できるか否かは別にして、解り易いし、同様の理由で政治家も経済や経営の専門家やジャーナリズムもそれなりに述べ立てる。だが「目の人」に関しては誰もが避けて通ろうとする。デザイン誌ですらここまでは立ち入ろうとはしない。
21世紀はアジアの時代といわれ、事実それが現実化を見せつつある昨今だが、こうした発想でわが国は、私の知る限り、確実に韓国・台湾・中国等に遅れを取り始めている。
「ニュービジネススクール」を謳ってスタートきったSTRAMD、当初は一体どういう先行きが待っているか一抹の不安を持ってのスタートであったが、前期30回の講義を終えてみて、「目論見はかなり成功」と言って間違いなさそうだ。
最初は30人の受講生それぞれの属性のあまりの拡がり、つまり、年齢は20~60才代まで、職業も確かにデザインを専門とする人たちはいるが全体の1/3、専門資格を持っている人たちもMBA・一級建築士・管理栄養士・学芸員等々とさまざまで、果たしてこれで一つのクラスとして成り立つだろうかと危惧の念を持って臨んだが、これは杞憂であったと言えそうである。
人は目指すところを共にすると、かなりのコンセンサス集団になれるものだ、との実感も感じ始めている。
考えてみればごく当然のことだが、美しい事物、快適な環境、安全性や倫理性、そして個性的な存在であること等に異論を差し挟む人などいないわけだし、デザインのミッションとはまさにこれらの具現化にあるわけだから、分かってみれば、それぞれの専門分野においてこうした発想を採り入れ、ソフト・ハード両面から価値創造に関わっていく歓びの思いが緒に就き始めた、というのが、個人差はあろうがSTRAMD受講生達の現在の心境ではなかろうか。
大学では、あるいは専門化分化した教育機関では、成し得ない学びの環境づくりがSTRAMDにおいて可能、との芽が見え始めたと認識している。