2015年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院 2015年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院

日本文化とデザイン論2

日付
2015年06月10日 19:00~
場所
デジタルハリウッド大学院大学
受講生の感想

記:加藤 早貴

日本文化というものを、

・空間認識

・焼き物

の2点から論じていただいた。

 

 

焼き物は、縄文土器から現代までの流れを一気に見ることで、

何千年にもおける様式の変遷を目の当たりにした。

 

縄文土器という儀式的な意味合いが強い土器

モダンデザインを彷彿とさせるシンプルな弥生土器

機能・目的がはっきりしてきた須恵器

中国磁器の真似をすることで生まれた瀬戸の高級器皿

荒さを美しいとする信楽焼・備前焼き

川北半泥子・加藤唐九郎

進化し影響し合いながら、これまでの流れが入り込んだ世界をつくりあげる

 

装飾からシンプルへ、

絵付けを施すようになり、

荒さやヒビを愛でるようになる。

時代と共に良しとされるものが変化していく。

 

流れを見ていく中で面白いと感じたのが、

中国の真似をすることで生まれた瀬戸の高級器皿だ。

当時日本は中国の青磁を模倣しようとしたが、

「陶器」はあっても「磁器」は日本に無かったためどうしても上手くいかない。

その試行錯誤の中で生まれたのが瀬戸の高級器皿だ。

 

「ものの生まれるときというのは、そういうものだ」

と先生は仰っていた。

「まなぶ」とは「まねぶ」からきている。

独自性ですらも、まずは真似ることから生まれると。

 

新しいものを生み出す際に必要なのは素晴らしいアイデアだけではない。

過去、現在を学ぶこと、そして真似ながらの試行錯誤だ。

 

 

焼き物の変遷だけでなく、空間認識からも日本文化について論じていただいた。

日本人は元来、目に見えないものを大切にしてきた。

 

慈照寺にある塀は簡単に越えられる高さである。

泥棒を避けるための物理的な塀ではないのだ。

日本の家は屋根と柱と床という簡便な仕切りだが、

そこから生まれるのは厳格な空間だ。

 

玄関は入るのではなく「上がる」もの。

これは、内と外を明らかに異空間だと認識しているからこそ生まれた表現だ。

 

垣根より内、玄関より内・・・

内へ内へと向かうにつれ、聖なる空間へと入り込んでいくというのが日本の考えだ。

家という極めて生活的な空間の、内へ向かえば向かうほど「聖なるもの」に近づくという考え方は日本人独特な思考である。

 

あらゆる事象における精神的な世界が日本の特徴だ。

昔と比べると格段に減ってはいるものの、現在でもその名残は見られるように思う。

 

墓参りや、年に一度の初詣。

目に見えるものばかりを追いかけがちな現在においても、

精神的な世界は受け継がれていっている。

 

今後、いつまで残っていくのだろうか。

たとえば障子のような、身の回りのものに反映された精神的な世界はもうほとんど見られない。

近代が捨てたものと、作り出したもの。

技術が進むとともに、失われたものは何か。

改めて自らに問い直すきっかけとなった。

《STRAMD》

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